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クリスマスに考えるパーティ文化比較

今年のクリスマスは、マレーシア系中国人の家族のパーティにお呼ばれしました。以前もブリスベンで、近所のオーストラリア人の家族のクリスマスパーティに招いてもらった話を記事にしましたが、オーストラリアは家族で過ごす年に一度の大切なクリスマスに家族以外の人も気軽に招いてくれる寛大さがあります。

この家族は親戚を含めた大家族に加えて家族の友人も招待したので、30人ほどが集まりました。食事はマレーシア、中国、オーストラリア、アメリカなどが混ざった多国籍料理でしたが、ほとんどの家族はかなり昔に移民してきたかオーストラリアで生まれた移民二世なので、クリスマスの作法や付き合い方はオーストラリア流です。

日本では「家族水入らず」などと言って家族の集まりに他人を呼ぶことはあまりなく、友人同士集まるときも知っている友人同士の交友を暖めることが多いですね。一方西洋の国々では個人の友人を仲間の集まりに招待することはよくあります。この違いはどこから来るのでしょうか?それはパーティでの人々の行動を見ているとわかる気がします。

日本のパーティの話題は、仲間うちの共通の話題や個人的なことが多いです。だから赤の他人が入ると疎外感を味わうことになるかもしれません。オーストラリアでは、話のきっかけは個人的なことだったとしても、それを一般的な話題に昇華させることが多いです。話が発展してそれが社会問題や政治問題などになることもあります。その場合、参加者が知人だろうが未知の人だろうが関係なくなってしまうのです。だから他人が入ってもすんなり溶け込めるのです。

また日本のパーティでは、参加者全員が同じ話の輪に入っていることが多いです。この場合大人数が同じ割合で話に参加することは難しいので、一部の人が話の中心になり、残りの人はたまに発言したり相槌を打つという具合になります。オーストラリアでは個人同士が2-3人で話し、一区切りつくと新しい人と話すというように、次々と話す相手を変えながら最終的に多くの人と話します。だから一人のパーティ参加者が話す量はこちらの方が圧倒的に多く、常に誰かとしゃべっているという状態です。

クリスマスパーティの参加者の一人のモンゴル人が、「モンゴルでは全員が同じ話題を一緒にしゃべるのでオーストラリアのパーティとは全然違う」と言っていましたが、これはアジア系文化に共通なのかもしれません。以前日本人を含むアジア系の移民を中心としたホームパーティをしたことがありました。複数のテーブルにバラバラに座わると全員が一緒に話せなくなってしまうので、ゲストは着席せず、空いているスペースに全員が立って輪になって同じ話題を話していました。これこそアジアの文化だなあと思いました。

立ち話といえば、個人同士が自由に行き来しながら話をするのに便利なのは立席です。昨日のパーティは着席パーティだったものの、食事は自分で取りに行く形式だったので、ゲストは時々席を立ちます。その際一緒になった人同士、グラスや皿を手にあちこちで立ち話の輪ができます。個人と個人が話をするのが前提の場合、立席は都合がよく、大人数のパーティに取り入れられています。オーストラリアのバーに立席が多いのもこのためかもしれません。一方日本では立席はそれほど人気ではありません。立席パーティなのに、ほとんど全員が壁際に用意された椅子に座っている光景もよく目撃しました。日本人にとって知らない人と話をすることはパーティの目的ではないので、仕方がないのかもしれません。

以前日本で自宅に日本人を10人ほど招いてパーティをしたときのこと。椅子の数が足りなかったのですが、食事は勝手に取りに行く形式なので、立ったり座ったり適当に過ごしてもらえばなんとかなると思っていました。ところがゲストはとにかく座りたがります。立っている人を見るとかわいそうだと思うのか、お行儀が悪いと思うのか、自分の座っている椅子におしり半分ずつ座るように促したりするのです。これは私が予測していなかったことでした。ゲストに申し訳ないことをしてしまった苦い思い出です。

クリスマスパーティのほとんどの参加者はアジア系移民でしたが、行動形式は全員西洋流。社会的行動は人種よりもその人が置かれた社会に影響されるんですね。移住先に何年いても日本流を貫く日本人もいるので一概には言えませんが。日本に住む日本人、オーストラリアに移住して数年のアジア人、ほとんどの人生をオーストラリアで過ごしているアジア人、そしてずっと西洋社会で過ごしている西洋人という風にさまざまなバックグラウンドの人を見ていると、同じシチュエーションで違う行動を見せるので大変興味深いです。


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テーマ : 海外生活
ジャンル : 海外情報

メルボルンで暮らしてみたら

昨夏にブリスベンからメルボルンに越してきてから秋、冬、春を経験し、早いものでもうすぐまた夏になろうとしています。メルボルンとブリスベン、このオーストラリア第二、第三の都市は、気候、文化、すべてにおいて違っていて、まるで違う国に来たぐらいの変化がありました。まだまだ慣れないことも多い中、新しく体験することのすべてを楽しんでいる最中です。一応全ての季節を経験した今、あらためてメルボルン生活で変わったことを書いてみたいと思います。

まずは人口224万人の小さな町ブリスベンから、425万人の都会の部類に入るメルボルンへの変化。東京という大都会からブリスベンに引越した時のカルチャーショックは大きかったですが、今回同じ国の中で田舎から都会へ移った時の変化もまた大きかったです。メルボルンは多様で国際的、文化的な街。一年中数えきれないほどのフェスティバルや、音楽、芸術などの催し物が開催されて飽きることがありません。そしてさすがに都会、商品の洗練度が高いので、ショッピングが楽しいです。

次に大きな変化といえばやはり気候です。一年中太陽が隠れることのないリゾート地のようなブリスベンと、一日の中に四季があるメルボルンの違い。ブリスベンでは、たまにとんでもない豪雨がやってくる以外はあまり天気や気温に変化がないので、天気予報なんかどうでもよかったのですが、メルボルンでは天気予報を見ずして一日は始まりません。日中と朝晩の気温差が大きく、日中でも急に気温が下がったり、天気予報は晴れ、曇り、雨の全部なんて日も珍しくありません。朝は天気予報を見ながら着ていくものを考えますが、悩みすぎていまだにしばらく決まらない時もあります。傘をもっていくかどうかも重要な判断です。

こちらに来て買った衣類といえばジャケットや羽織ものばかり。脱ぎ着をして調整ができることが重要です。ブリスベンではあまり使わなかったマフラーやスカーフが大活躍。ファッションといえば、さすがにこちらは都会なので洗練されています。ブリスベンには合わないので箱の中に眠っていた東京から持ってきた靴やバッグが、ここでようやく日の目を見ることになりました。逆にブリスベンで着ていたリゾートファッションやチープなアクセサリーは、恥ずかしくて着られなくなってしまいました。ブリスベンではおしゃれすぎて使えなかったものを引っ越しのときにいくつか捨ててきてしまいましたが、今になって地団太踏んでいます(笑)。

気候の違いは家の違いにも現れます。こちらは冬の寒さに耐えられるよう(といっても氷点下にはなりませんが)、煉瓦づくりの家が多いです。古い家はイギリスの伝統的な家のようにがっしりした二重煉瓦。暖炉があるので煙突がいくつも立っています。亜熱帯の気候に合ったブリスベンの木造の薄い建造物とは違い、断熱性の高い家になっています。これが街の景色をまったく違うものにしています。

食も大きな変化です。といっても食の変化を求めて引っ越したわけですが。食事の質スタンダードは大変高いです。移民が多いので世界中のおいしい料理が楽しめ、ブリスベンより安くておいしい。そしてメルボルンと言えばカフェ抜きには語れません。ゆっくりくつろげる雰囲気のいいカフェがたくさんあって、ケーキや甘いものも充実しています。ケーキも日本人好みのフレンチ系のケーキが多いのがうれしいところ。メルボルン独特の落ち着いた隠れ家風バーめぐりも楽しいです。ということでおいしいレストラン探しが楽しみのひとつになっています。

ブリスベンで一生懸命料理していた理由は、おいしいものを食べたかったから、そして時間がたっぷりあったからですが、今は外食がおいしいので、自分で作るインセンティブが少なくなってしまいました。とは言っても、フィッシュマーケットで新鮮な魚を買うのはブリスベンではなかなかできなかったので、楽しみのひとつ。メルボニアンの食への情熱を裏付けるごとく、町の中心部だけでもビクトリアマーケット、サウスメルボルンマーケット、プラーンマーケットと、大きな常設マーケットがあり、このなかにフィッシュマーケットもあります。その他郊外にもマーケットはいろいろあります。、マーケットでは市価の半値ぐらいで買えるときもあるし、質もスーパーより高いものが見つかるので、おおいに利用したいところです。

働き方も違います。ブリスベンでは気候が良すぎて仕事する気分にならないのか、夕方5時には必ず仕事を終える生活でしたが、こちらはやはり都会なのか、残業する人も多いようです。日本のように毎日遅くまで働くということはありませんが、ブリスベンのユルユル生活に慣れてしまった私はちょっと大変です。それでも忙しく仕事をしているとき、ランチやコーヒーを買いに外へ出ると、バイオリニストやチェリストが奏でる音楽にほっとします。芸術の街、メルボルンではバスキングが盛ん。日中街に出ると、いろんなところで楽器演奏などのパフォーマンスをやっています。街の環境を保つため、市の審査を通った人しか演奏できないという厳しい世界です。彼らもゆとりのある街の景色に一役買っているのです。

メルボルンは国際的で人種の違いを気にしない人が多く、フレンドリーな反面、個性的で独特の文化があるので、外から来た人が入っていきにくい部分もあります。知り合いのオーストラリア人も、メルボルンに慣れるまでしばらくかかったと言っていました。シドニーは一か月しか住んだことがないのでよくわかりませんが、ここもメルボルンとは全然違う文化だそうです。ブリスベンにいたときはこれがオーストラリアというものかと思っていたこともありましたが、メルボルンに来てから、同じ国でもこれほど違うのかと驚くことばかり。オーストラリアは広く、気候も文化も人の気質も場所よって全然違うので、一つの都市を訪れてこれがオーストラリアだと思わない方がいいですね。

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テーマ : オーストラリア
ジャンル : 海外情報

世界に取り残される日本の多重国籍制度

青色発光ダイオードを発明した中村修二博士他二名の日本人がノーベル物理学賞を受賞しました。日本のメディアは日本人が三人と発表しましたが、世界のメディアは日本人が二人、アメリカ人が一人と書いています。中村氏はアメリカ国籍を持っており、日本の国籍を放棄しなければならないので、日本人が三人という記述は間違いということになります。世界で中村博士がアメリカ人と認識されてしまうのは、日本が成人の複数国籍を認めていないからです。

多くの日本人は、国籍という概念をあまり理解していません。「日本に生まれ、日本語を話し、外見が日本人に見えれば日本人だ」ぐらいの感覚でしょう。国籍とは個人がどこの国に所属し、どこの国に心理的に帰属するかというようなあいまいな印象しかないようです。日本人は生まれてからずっと日本を出ずに一生を終えるのがほとんどで、日本に移住する外国人も極端に少ないので、国籍のことを考える機会がないのでしょう。日本はほとんどの居住者の出生国、国籍、人種、言語、宗教が一致している、世界でも珍しい国なのです。

世界では国境を越えて人が出入りし、生まれた国以外で暮らしたり、複数の国を渡り歩くのは当たり前になっています。企業の駐在員の他、世界の大学を回るのがめずらしくない大学教授や研究者、国境を越えた就職、他国の社会制度や生活環境を求めての移住、複数国のいいとこどりをした住み分け・・・。特にアジアやヨーロッパは国境を越えた通勤もめずらしくありません。国境は日本でいう県境のような感覚です。

個人が生涯に二つ以上の国に深く関わるのが珍しくない現在、パスポートを二つも三つも持つのは全く珍しいことではありません。ほとんどの先進国が多重国籍を認めています。また多重国籍を正式に認めて認めていない国でも、また祖国に帰って働けるなど、何らかの形で母国の国民の権利を認めている国は約90か国にものぼります。他国の国籍を取ることさえできない国がたくさんあることを考えると、ほとんどの国が他国の国籍をとっても母国人としての権利を残しているといえます。日本のように他国の国籍を取ったら「赤の外人」と扱われる国はめずらしいのです。

だから移住先の国籍を気軽に取る移民は多いですが、他国の国籍を取ると日本国籍がなくなってしまう日本人にとっては簡単な決断ではありません。日本国籍がなくなると日本国民としての権利がすべて失われるので、日本に行くたびにビザを取り、日本の健康保険にも入れず、日本で働きたいと思っても自由に働くことができません。私のように日本語を完璧に話し、日本で働いた経験も長く、日本の社会事情に通じていても、他国の国籍を取れば、日本のことなど何も知らず日本語もまったく話せないただの外人と同じ扱いになってしまいます。

オーストラリアは労働人口の三分の一が海外生まれという移民大国です。労働者の典型的な移住パスは、最初に労働ビザなどの各種ビザを取ったあと永住権を取るか、初めから永住権を取って移住します。永住権さえ取ってしまえば国籍を取るのは簡単なので、国籍まで取ってしまう人が多いです。なぜ移住先の国籍を取るのかというと、仕事をするうえで有利な面があったり選挙権があるなど、移住先の社会の一員として生活する上で都合がいいことが多いからです。オーストラリアはもちろん多重国籍を認めているので、インド、シンガポール、タイ、ベトナム、韓国、台湾などのアジア諸国からの移民や多くのヨーロッパ系移民も、自国の市民の地位を残したままあたり前のようにオーストラリア国籍を取ります。「日本人は他国籍を取ると日本人としてのステイタスを失ってしまう」と言うと、どこの国の移民もびっくりします。まさか日本のように高度に発達した国が、こんな時代遅れなことをやっているとは思わないようです。

中村博士のように、移住先の社会で活躍するために日本国籍を捨てて他国籍を取る日本人は少なからずいますが、これは日本への愛着がなくなったということではありません。単に移住先で社会的地位を確立し、安定した生活を送りたいだけなのです。母国の国籍を積極的に捨てたい人など普通はいません。それどころか、多くの海外移住者が日本にいたときより国を思う気持ちが強くなることはよく知られています。日本人だけでなく、オーストラリアの国籍をとった多くの移住者も祖国への思いを決して忘れず、祖国への貢献活動をしている人はたくさんいます。国籍は単なる法律上のステイタスであり、個人の母国に対する思いとはまったく次元が違うのです。他国の国籍を取る日本人が祖国の国籍を捨てなければならないのは、日本の法律が複数の国籍を持つことを許さなからという単純な理由からです。

海外の人材を積極的に呼び込んだり、グローバルに協業していくことが国の競争力を左右する時代、日本に腰を据えて活躍したい外国人に母国の国籍を放棄するよう求めたり、日本に貢献してくれる可能性のある海外の人材に日本の国籍を捨てるよう求めることは、日本にとっていいことは一つもないのではないでしょうか。個人が一つの国に帰属する習慣は、とっくに過去のものになってしまいました。世界は日本を素通りしてどんどん一つになっていきます。日本の世界での孤立化がますます深まっています。


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テーマ : 海外にて日本を考える
ジャンル : 海外情報

日本人経営者の恥ずかしい実態

日本の某有名グローバル企業のオーストラリアの営業拠点で働いている友人は、会社の経理財務を引き受けています。会社の財務状況を管理し、経営者に報告するのは彼女の役目。オーストラリア国内の営業活動にかかわる財務状況を日々追いかけ、オーストラリア法人の責任者に報告します。

と・こ・ろ・が!日本から駐在で来ているこの責任者が会計を知らないため、仕事に支障をきたしているというのです。正式な財務三表には損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書(資金収支表)があります。彼女がキャッシュフロー計算書を作って持って行ったところ、この責任者がキャッシュフローをまったく理解していないので唖然としたそうです。彼はキャッシュフローを見て、「何これ?売上はどこにあるの?」と尋ねたそうです。これはもう笑うしかない。

キャッシュフロー計算書は現金の収支を管理するものなので、売上はありません。売上を見るのは損益計算書です。いくら売上がたくさんあっても資金繰りが悪ければ倒産に追い込まれることもあり、経営者が会社の支払い能力を示すキャッシュフローを理解して適切な経営判断をするのは常識。最終判断をするのは経理担当者ではありません。細かいことは経理担当者に任せるとしても、会社の経営者が財務三表の基礎を知らないことはありえないのです。だから普通は「財務三表の基礎中の基礎を知らない」とは恥ずかしくて口が裂けても言えないことで、堂々と「知らない」と言えてしまうこと自体が驚くべきことなのです。

彼女は財務状況を管理職に報告して判断を仰がなくてはいけないのに、その肝心の管理職が報告書を読めないため、仕事ができません。仕方がなく、他の海外拠点の責任者(非日本人)に報告して判断を仰いでいるそうです。英語もできない使えない上司なので、彼女の仕事は増えるばかりで毎日夜遅くまで残業です。

でもさすがにまずいと思ったのか、彼が次に言ったことは「○○さん(財務責任者の名前)、これから毎日30分、僕に経理の基礎を教えてよ」。キャー、そう来たか!日本でしか許されない部下の使い方!

第一、なぜ彼は自分で勉強しないのでしょうか?経理の専門家になるのではないので、ちょっと本を読めばわかる話。薄い本を一冊買って読めばキャッシュフローを基礎などわかるのです。彼の返答は「いやー、僕本読んで勉強するのってきらいでサー。」だそうです。

次に、彼に必要な能力がないのは自分の責任なのに、なぜ部下に負担を押し付けるのでしょうか。彼女は財務の専門家で、社員教育の専門家ではありません。この国では、特定分野の専門職に専門以外の仕事を頼むことはありえません。彼女は高度な財務能力を提供することによって給料を得ており、財務の仕事をすることでキャリアを構築しているのです。

そもそもオーストラリアでは(他の国もそうですが)、こんな経営の基礎さえわからない人は業務を遂行できないので、大会社の営業拠点の上級管理職にはなれません。彼はたまたまオーストラリアに赴任してきた、典型的日本のサラリーマン。この会社は、本を読むのもイヤな人になぜ責任の重い役職を任命してしまうのでしょうか?日本人なら誰もが知っている有名企業の実態は驚くべきものでした。

この話を聞いて思い出したのは日本で働いていた時のこと。仕事上いろいろな会社の上級管理職や経営者に会うことが多かったのですが、彼らは驚くほど経営や財務を知らないのです。IT技術者はITの知識がなければなれません。会計士は会計の資格がなければなれません。ところが日本の経営者は経営の素人でもなれるのです。若いときに経営とは関係ない仕事をしていても、終身雇用制のもと、成績がよかったり社内政治をうまく立ち回ることにより、年功序列で最後にもらえるご褒美が上級管理職や経営者。経営能力に優れているから経営者になるのではありません。日本以外の多くの国では、経営者になるためにはそのための専門的な勉強をします。経営者の経歴を見ると、ビジネススクールの学位を持っていることが多いのはそのためです。

経営を知らず、経営者としての役割を果たせない人に経営をやらせ、やっつけ仕事で仕事をし、足りない部分は残業をいとわない部下や周囲に負担を強いることによってかろうじて回しているのが日本の会社の経営。日本の産業界が国際競争からどんどんおいて行かれているのはちゃんと理由があるのです。

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テーマ : 海外にて日本を考える
ジャンル : 海外情報

厳しい就職市場でのサバイバル

世界経済危機以降、多くの先進諸国の経済が失速する中、自前の天然資源と中国の成長で悠々自適だったオーストラリアも、中国の成長の鈍化でいよいよ失速の波が押し寄せて来ました。公務員の多くが職を失い、今年2月には、オーストラリアの失業率は10年ぶりに6%を超えてしまい、そんな2月にメルボルンで就職活動を始めた私はその影響をもろに受けてしまいました。また5月には現在のアボット政権が緊縮財政案を打ち出し、個人の消費意欲と企業の採用意欲がさらにしぼみます。7月には私のいるビクトリア州の失業率は7%を超えてしまいましたが、新年度(オーストラリアは7月が新会計年度)になってようやく募集が多く出てきて、最近仕事が決まり、働き始めました。日本にいたときは外資に勤めていたので、朝会社に行ってみると仕事がなくなっていた(レイオフされた)ということが何度かあり、これまでの最高求職期間は5か月でしたが、今回はメルボルンに来て半年探していたので、これまでの記録を更新してしまいました。

時間がかかった原因は、他にもいくつか理由があります。まずメルボルンという新しい土地に引っ越したこと。同じ国とはいえ、これまで住んでいたブリスベンとはまったく違う国と思うほど文化が違います。以前住んでいたブリスベンよりずっと都会なのですが、古い歴史と他の都市にはない独特の文化があり、誰かの紹介で話が進む傾向が強いように感じました。ここはコネが物をいう社会のようです。とはいえ世界からの移民が非常に多い都市で閉鎖的ではないので、いったん社会に入ってしまえばいいのでしょうが、新参者には慣れるまでちょっと時間がかかるようです。ここの労働市場を観察しつつ、いろいろな業界や会社を訪問して多くの人と話をする機会が持てたのは、この市場をを理解する上で大変有意義でした。

今住んでいるメルボルン以外の仕事の話を進めなかったこともあるかもしれません。オーストラリアは広い大陸にもかかわらず仕事探しは全国区で、ジョブオファーをもらった仕事のある都市に引っ越すのはめずらしくなく、時には国境を超えることもあります。だから就職活動の環境もグローバル化、モバイル化しています。就職エージェントも全国区で活動していることが多いので、他都市の仕事やニュージーランドの仕事も持ってきます。たとえ居住地の仕事の面接でも、他都市にいる人と電話面接するのはよくありました。地元メルボルンの仕事の話で就職エージェントから電話がかかってくると、カナダやアルゼンチンからだったとか、イギリスや日本に出張中のヨーロッパ在住者と面接したこともありました。アメリカやアジア、日本の仕事の話が来ることもあり、特にIT職の場合、仕事に国境はありません。

もう一つの原因は、私の専門分野の一つである技術の需要が少なくなってきていること。巷には私と同じ専門職の人がたくさん職にあぶれていました。IT職の場合、技術の移り変わりが激しく、数年前と今とでは状況がまったく変わってしまっているのは目を見張るほどです。この国では日本とは比べ物にならないほど仕事が細分化、専門化されているため、狭い範囲の専門領域でトップレベルのスキルを確保し続けなければならないと同時に、どんどん入って来る新しい技術や変わっていく市場にも常に対応しならず、ここがITキャリアの難しいところではあります。求職期間中は幸い時間はたくさんあったので、この期間を利用して新しい技術を勉強できました。また変わっていく市場を見据えながら、これからのキャリア計画や、変化の激しい環境で自分の競争力を確保するための自己ブランディングなどをいろいろ考える機会が持てました。

IT職にかかわらず、これまであった仕事がなくなっていく現象が世界中で起きています。自動化やシステム化が進んで、これまで人手に頼っていた仕事が機械やロボットやソフトウェアに取って替わられます。先進国の仕事はコストの安い国に移っていくため、仕事の機会が減っていきます。また労働市場のグローバル化で、安い賃金の移民が入ってきて地元民の仕事を圧迫します。どんな職種でも、自分の仕事に将来はあるのか、どうやって生き残って行けるかを真剣に考えなければならない時代です。

新しい仕事は、今までの経験を最大限に生かせ、自分のキャリアプランにマッチしていること、さらにこれから伸ばしたい分野の経験が積めることが理想です。それと同時に収入源も確保しなくてはなりません。仕事がたくさんあるときはいろんな選択肢があったのですが、そもそも仕事が少ない場合、どこで折り合いをつけるかが難しくなります。専門領域でキャリアアップするには仕事内容に継続性があることが必要で、次に転職するときに「今の仕事は手っ取り早くお金がほしかったから選びました」とは言えません。

今はいままで安泰と思われていた連邦政府の公務員でさえバッサバッサと首を切られる時代。そしてグローバル化が進み、自分の住んでいる国の論理だけで物事が動かない時代です。どこかに職を得たしても、常にグローバル市場を観察しながら自分の市場価値を高め、自分の価値をどうやってお金に変えるか、そして5年後、10年後のキャリアにどう繋げるかをいつも考えておく必要があると改めて実感したのでした。


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プロフィール

divayoshiko

Author:divayoshiko
よりよい生活と仕事環境を求めて、日本の会社を辞めてオーストラリアに移住しました。IT技術者として生活を確立するまでの様子、日々の生活や仕事のこと、現地情報、オーストラリアや日本について感じることなどをつづっています。メルボルン在住。
Twitter @divayoshiko

これまでの歩み
2009年
4月  技術独立ビザで永住権取得
2010年
1月  東京からブリスベンに移住
2月  シドニーに移住
4月  ブリスベンに移住
5-6月 メルボルンに長期出張
2014年
2月  メルボルンに移住

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